『教える』仕事 その2
教える仕事に興味を持った高校時代。
思い浮かぶのは学校の先生だったので、その後の大学で英語教諭の資格を取りました。
中学と高校の英語教諭の資格でした。
どちらにも教育実習に行きました。
精一杯頑張りました。
でも…。英語の勉強は好きなのだけれども、英語圏で生活をしたこともないし、教えるのはちょっと難しいかなぁと思いました。
その後、教える仕事に出会ったのは、母親になってからでした。
『ウクレレ講師』でした。
子どもを生んだ後に、ウクレレに出会いました。
4歳の頃からずっとピアノに触れていた私ですが、出産後はピアノを断念していました。
本当は続けたかったのですが、赤ちゃんはピアノの大きな音を怖がります。
何とかして音楽と繋がりたい。
その時見つけたのがウクレレでした。
ウクレレは小さな楽器ですし、優しい音なので赤ちゃんも喜びました。
ハワイ語の唄もあれば、英語の唄もたくさんあって、歌えることも喜びでした。
地元の社会人サークルに入って、公民館などのお祭りでウクレレを弾いたりしていました。
すると、幼稚園のママ友から教えて欲しいという声が掛かりました。
私も、私も、と声が掛かり4人集まりました。
自分を入れれば5人です。
『ちょっとこれ、プリプリみたいじゃない?』
プリプリ:プリンセスプリンセス
90年代のガールズバンドの代名詞です。
ユニット組もう!
と盛り上がり、お揃いの衣装を自分たちで作って、日本最大のウクレレイベントにも何度か出場しました。
人を教えるには責任が伴いますので、自分もプロのウクレレ教室に教わりに行きました。
すると、その教室経由で公民館から夏休みの間だけ子供達向けにウクレレ教室を開いてほしいと声が掛かりました。
一度引き受けたところご好評いただき、次年も声が掛かりました。
そのうちにお教室からレギュラーで子どもクラスの講師にならないかというお声をいただきました。ありがたいことでした。
ですが、ちょうどその頃から子どもが塾に通い出しました。色々とサポートが必要な時期で、自分の活動は自粛しようと思っていました。
そしてウクレレ関係の全ての活動を一旦棚上げしました。
ウクレレ、楽しかったです。
優しい音と独特のリズム。
テキストも色々工夫して、大きな模造紙にわかりやすく書いたりして、どう教えたらいいかを考えることが楽しかったです。
今から思うと第二の青春時代のようでした。
だけれども、突き詰めれば突き詰めるほど、ウクレレの音が私には借り物のような気がしました。
どうしても自分のものにならない感じ。
好きなんだけど、最後まで到達できない感じ。
好きなんだけど、好きなんだけど…
苦しい。
あれ?これって本当に好きなの?
そうかぁ。
私の場合、人を教えるに当たっては、その内容がとことん好きじゃないと苦しくなってしまうのか…。
とことん好きなこと。
なんだろう。
私は日本文化が好き。
日本の歴史が好き。
この複雑な国の成り立ち。
捉えどころのない日本人の気質。
どうしてこういう気質になったのだろう。
地形とか、地質とか、歴史とか、きっと影響し合っているはずだ。
自分も日本人なのに、日本人のことちっとも分からない。
不思議だ。どうにも面白い。
もっと知りたい。
ちょうど同時期に着付けと茶道を習い始めていました。
私、もしかしてこっちなのかな?
色々寄り道してみて見えてきた、本当に自分が好きなことでした。
2022-11-27 14:21:00